第2回
島々日記:98.5.12(タコの独り言:城ノ鼻)
「今年の海は、どがーになっとるんかいのおー……。ホゴやメバルなんかの元々おった仲間はぐっと減ってしもうて、メジナの子みたいな、なんかわけのわからん南の者が一杯増えてしもうたがー。ちょっとは透明度も良うなったと思いよったが、いつの間にやらアサリもカキもおらんようになってしもうた。去年の夏にはわけのわからんひどい濁れがでるし、瀬戸内海はこれからどがになるんじゃろーかのおー……。それもこれも、みんな今話題になりよる環境ホルモンのせいじゃろか?それにしても、砂が減ってしもーたのおー。」瀬戸内海の干満の差
まずは、右の写真をご覧下さい。
同じ場所を撮った2つの写真を見比べて頂くと一目瞭然、これだけ干満の差があるのです。初めて経験する人には、これが同じ場所だとは、とてもわからないでしょう。
瀬戸内海は、潮汐作用によって、東の紀伊水道と西の豊後水道から海水が出入りし、たった6時間足らずで、干満の差が3.5mにもなります。当然、水際線も水平距離で数十m移動します。このような変化に、とても同じ場所とは思えなくなるのです。また、この干満の差が、岩をも噛む潮流・渦潮をうみだし、その速い流れが、瀬戸内海特有の超美味な魚を育むわけです。
もっとも、この干満の差は地理的にも大きく異なります。日本海側では0.3〜0.5mくらいの変化しかなく、有明海などでは6mにも及ぶそうです。この海水面高(潮位)の変化に思わぬ被害を被る人もたくさんいます。海水浴に行って気持ち良く遊んでいたのに、気がつくと潮が満ちてきて砂浜に置いていた衣類などの荷物が流されてしまったり、まだ泳げない子供さんが岩場の上に取り残されてしまったりするわけです。もちろん、釣りをするにも、この潮汐の変化とそれにともなう沿岸流を熟知していないと十分な釣果があがらないことは明白ではありますが、、、、、
昔の子どもたちは、生活の知恵として、この干満の差をいろんな遊びに利用していたようです。タイドプール(潮溜り)で魚を捕ったり、サザエやタコと遊んだりする磯遊びは少年時代のライフスタイルに密着していたのです。ウルトラマン・岩城島で永眠か!!
1998年某月某日、銀河系宇宙のはるか彼方、M78星雲から岩城島に突然、ウルトラマンがやってきた。しかし、彼はあまりにも突然やってきたので、着陸した時の様子や、その任務は定かではない。当時の目撃者を捜して聞き込みを続けているが、まだ現われていない。さらに、着陸の際のあまりの衝撃か、はたまた、島でのカルチャーショックからか、直後に石化してしまったようだ。ウルトラマン友の会会員の曽根慎吾君に聴いたところによると、どうやら悪の権化・バルタン星人を追って激しい戦闘をしている最中、誤って島に激突した模様で、積善山に眠る金鉱石のせいか、その時の重力Gが異常に高くなり、ついに石化してしまったのではないか、ということだ。また、バルタン星人が何故、岩城島の上空を徘徊していたかという謎に対しても、曽根慎吾君は、おそらく、最近、健康食品に凝っているバルタン星人が高級な国産レモンを不法に手に入れようとして、岩城島に潜入した模様だとコメントしている。
いずれにしても、ウルトラマンと宿敵・バルタン星人がこのように、はからずも仲良く並んで永眠したことは、これからの宇宙平和の記念碑となる可能性が高いだろう。タヌキの糞柱、雨に打たれてババ糞となる
かねてより、西日本随一のタヌキ王国となっていた赤穂根島は、いたるところに、タヌキの勢力範囲を示す糞柱がある初めて上陸した人は、足元に十分注意しなければ、すぐにウンのつきがまわってくるのだ。この糞柱の実態は、高いものではゆうに30センチを超えるものもあり、その実物を写真に納めようと島に渡ったのだがあいにくの雨続きで、素晴らしい孤高を誇る一物は見られなかったけど、雨に打たれた残骸はあちこちに見られた。これを調べると、タヌキ社会の経済構造が一目瞭然である。
志のある人は、晴れの日が続いた後、島に上陸して自分のその目でこの偉大さを確かめて欲しい。大自然の偉大さが実感できるかも、、、、、、。イノシシ哀話
どこからやってきたのやら、何時からここにいるのやら、定かではなかった。数年前頃から、風の噂に、赤穂根島にイノシシがいるらしいと、、、、、伝え聞いた。農船で出づくりに行く、左山寛二さんや、二三の人が、瞬時の姿や足跡を見ていたという、、、。もともと、この島にはイノシシはいなかったので、何故こういうことになったか、謎は深まるばかりだった。しかし、今回、そのイノシシの遺体がついに発見されたのである。
写真の遺体は赤穂根島の南側、大手原の砂浜に打ち上げられており、その死因も定かではない。数十キロはあろうかと思われるほどのかなり大きな体躯で、立派な牙もついていた。寄せては返す波打ち際に、無残にも屍をさらす結果となったが、噂では、二頭の番でいたそうだ。愛する伴侶の突然の死に、悲しみにくれる、もう一頭のイノシシは何処に、、、、、。
島では、このイノシシを巡って諸説紛紛、乱れ飛んでいる。
第1の説、広島県の生口島から泳いできた。
しかし、この潮の流れの速い瀬戸内海を、あの体型で本当に泳ぎきれるだろうか? ましてや、間には岩城本島があるのに、そこをとばして何故に赤穂根なのか? 謎は深まる一方である。
第2の説、ぺットの投棄、捨てイノシシ。
どこかの誰かが、自分で飼っていたイノシシが大きくなって、手におえなくなり、夜陰に紛れて、この島に捨てたという説。これが本当ならば、自分勝手な人間どもに必ずや天中殺が下ることだろう。
後日談、このあと、悲しみのイノシシは、再び海を渡り、津波島に上陸し、新たな生活を始めたとかいう噂も流れている。
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