第7回


島々日記:1999.1.27

潮とり=ダブ=潮遊び=遊水池
 たいていの人は、初めて耳にする聞き慣れない言葉かと思いますが、これは島の生活を支える大事な施設なのです。
 その昔から、島は土地が狭いので新田開発などの埋立てが盛んでした。埋立て地は当然のことながら地盤の高さが低いところに在るため水捌けが悪いわけです。それで台風や集中豪雨などの大雨が降ったとき、満潮と重なって海面のほうが高くなってしまうので一時的に雨水を貯めておいて、潮が下げたときに雨水を海に放流するのです。この緊急時に雨水を貯める施設が、潮とり=ダブ=潮遊び=遊水池と呼ばれるものです。もちろん、この潮とりの規模は上流の集水面積や田畑の形状によって異なります。
 こう説明しても、なかなかわかってもらえないと思いますが、要するに、満潮のときには海より低い土地がたくさん在るということなのです。瀬戸内海の干満の差が4m近く在ることからすれば当然なのですが、、、。実際に満潮のときに、この護岸の上に立ってみると良く判り易ますが、海水面よりかなり低い地面を見ていると不思議な緊張感を覚えるとともに、それを支えてきた先人の苦労が偲ばれます。
 昔から新開(しんがい=新田開発された土地のことをこう呼んでいる)を持つ人は、台風や大雨の時には田畑が冠水しないようにと、夜通しの樋番(潮とりに設けられた水位調節弁=樋口の開閉操作のこと)で眠れなかったそうです。現在のように海水面が下がると自動的に海に放流する装置はなく、命がけで丸太の栓を挿したり抜いたりの大変な作業だったようです。  いまでは、背後地の所有者も地球の温暖化を見越してか、建設残土の流用などにより地盤を高くしており、このような潮とりや樋口などといった施設も姿を消しつつあります。
 話は変わりますが、実は、この潮とりには特殊な生態系ができており、昔の子どもたちには大切な遊び場でした。生物学的分類からすると汽水域に属するこの場所には、流れ込む豊富な養分のせいかメダカ、ウナギ、ボラ、チヌ、ドンコ(チチブ)の魚類や貝類、甲殻類、昆虫類などがたくさん住んでおり、それを食べる水鳥も多く集まっていました。なかでも、ウナギ捕りは高度な技術を要する遊びで、ウナギを捕ったものは大いなる尊敬の眼差しと羨望で見られたものです。島の人たちにとって、土用ウナギはこの潮とりから捕って初めて食べることができるという貴重な滋養強壮食でした。その漁法も竹筒を工夫したものとか、巨大なミミズを一本丸ごと付けたものとか、実にいろいろな仕掛けがあったようです。こうした生活の知恵も、いつの間にか消えてしまいそうです。

※写真は、潮とり=海より低い土地を冠水から守る施設





島々日記:1999.1.20

ウウー、寒いけれど〜磯干狩りは面白い!!
 寒さが厳しくなってくると、いよいよ磯干狩りのシーズンです。二週間に一度の大潮の干潮時を狙って、密かに準備を進めます。岩の間から獲物のサザエやナマコなどを掻き出す金具も、人それぞれに独特の工夫が凝らされています。ゴム長、懐中電灯や獲物の入れ物にも独自のスタイルがあるようです。
 この時期、潮がよく下げるのは決まって未明、午前四時頃です。「人より先に、、、」と真っ暗な磯場に一時間位前から舟を着けて潮が下げていくのを静かに待ちます。いつもの目印の岩が海面から現われると、おもむろに道具を携えて磯場に降り立ちます。凍てつく寒さの中に今日の獲物を思い浮かべて、ブルブルッっと武者震いする緊張の一瞬です。
 それからあとは集中力と体力の勝負です。足元は変化に富んだ岩だらけ、おまけにその上には海藻なんかがいっぱい生えていて、ちょっとでも気を抜くと、スッテンコロリと転んでドボンと海中に転落、下手に頭でも打とうものなら、そのままあの世行きです。そうです、磯干狩りはまさに生死を賭けた真剣勝負なのです。
 名人はポイントからポイントへと駆け抜けて行きます。潮の下げ具合、ライバルの動き、獲物の採れ具合、全てのデーターを瞬時に総合判断して次の動きに入ります。
 よく下げる潮は、満ち上がりも早いのです。フッと潮が止まったと思ったら、次の瞬間、波打ち際に白い泡がヒタヒタと押し寄せてきて、アッという間に岩の姿が海中に沈んで行きます。海がまるで巨大な生き物のように感じる不気味な一瞬です。そして、明けの明星が残る東の空がぼんやりと白む頃、やっと緊張の糸が解かれるのです。
 舟に帰って、獲物を分けながら、あの岩の下でナマコが何匹、こっちの磯の割れ目でサザエが何個と、最新のデーターをインプットしていくのです。彼には、こうして海が少しずつ(?)変化しているのが手にとるようにわかるのです。二十年前、十年前の海の姿と比べて、確かな変化が読み取れるのです。「海は正直だ、海は嘘をつかない。」と、彼は言います。そこには人間たちの営みが如実に現われているせいかも知れません。心地良い疲労感を一服の煙に乗せながら、いつまでも、この海の豊かな恵が続くことを願いつつ、帰路へと舵をきるのです。

追伸:家に帰って、とれたての獲物でさっそく熱燗をいっぱい、冷え切った体もいっぺんにホットになりました。これこそ、島に住むものの特権、思わずニンマリ、嗚呼、幸せ!

※写真は津波島での磯干狩りの様子を中国新聞の大村カメラマンが撮影してくれたもので、暗闇の磯場を名人が駆け抜けている幻想的な光景です。(F5.6で二分間露出、ISO400)





島々日記:1999.1.7

タコは干されてサカナになる?(タコのひとり言)
 まずは、このマダコの大きさをご覧あれ!タコ釣り名人・仁木さんと比べてもこの大きさ、干して乾燥する前は、ゆうに3 は超えていたそうです。80歳の仁木さんには、この重さと大きさはさすがにしんどかったとか、、、。
 しかし、このところジャンボサイズの大物ばかりで、つい先日も5 超の大物を釣り上げたばかりだそうです。冬の到来のズレ込みのせいか、年末にはこのような大型のマダコがボンボン上がっていました。地上の超不景気とは裏腹に海中のタコ世界はバブル真っ盛りだったのかも知れませんね。願わくば、マダコの世界もバブルではなくて、持続可能な発展と共生の社会情勢になってくれるといいのですが、、、。
 さて、今年の海況はどうなりますことやら、、、、、、。

 ところで、この干しダコがどんなものかご存じでしょうか?さすがの大物ダコも寒風にさらされて1/3の重さになる頃には、どこからともなく1升ビンを抱えて左党が集まってきます。飲ん兵衛のおっさんたちは、太ッとおーい、堅い足をやおら一本切り取って、無造作に七輪の炭火の上でサッサッと焙り、金槌で軽ーくトントンと叩いて柔らかくします。あとは、お酒とかわりばんこに口に入れたり出したりで、これさえ一本あれば一升ビンが空く迄大丈夫という左党には垂涎の代物なのです。もちろん、お酒を飲めない子供たちにも大好評で、顎の筋肉を鍛え大脳の働きを活性化させてくれます。そのせいかどうか、干しダコを噛っている子供はみんなとても利口そうに見えます。(この部分の記述については殆ど主観だけですので念のため、、、)
 ということで、タコは干されて、魚ならぬ、酒のサカナ(肴)になるというお話でした。
 なお、今夏は岩城島で、タコのことなら何でもありという珍しい学会の「蛸研究会」なるものが開催されるそうです。興味のある方は是非参加して見てください。タコの世界もまだまだ、わからないことばかりなんだそうです。





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